21836  文化勲章受章 世界のムナカタ 棟方志功 (身沁の柵) MUNAKATA Shiko

縦(44.0cm) 横(55.5cm) 
 

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 棟方志功:明治36年9月5日、青森市で代々鍛冶職を営んできた父棟方幸吉・母さだの三男として生まれました。
同43年4月に長嶋尋常小学校に入学し、3年生の頃から凧絵に興味を持ち、級友にかいてあげていました。
6年生の頃、田んぼに不時着した飛行機を見にみんなと走っていたところ、小川の所で転び、そばに白い花(おもだかという水草)を見つけて、その美しさにひどく感激してしまいました。
小学校を卒業する頃から兄と一緒に実家の手伝いをしていましたが、17才の時に裁判所の弁護士控所に給仕として雇われ、仕事のない日や、早朝に合浦公園へ出かけて写生をし、絵の勉強をしました。
小野忠明先生から、ゴッホのヒマワリの複製をいただき、深い感銘をうけたのもその頃です。
又、絵の仲間達と会を作り、展覧会を開き、後に東奥日報社の編集長になった竹内俊吉氏(元青森知事)から高い評価を受けたこともあって、絵かきになる決意を一層堅くしました。
昭和29年 100号大の「華狩頌板壁画」(のち「華狩頌」と改題)を制作し、10回日展に発表する。 「身沁の柵」「風立の柵」(この2点は「炫火頌」となる「夜橋の柵」「みみずく板画柵」(2柵)などを制作する。